東村山さんぽあゆむ、はぐくむ、楽しむらやま
文化・読み物LAST UPDATED 2026.06.08

鎌倉幕府を倒した戦いの跡 — 久米川古戦場と八国山

東村山は、日本史の大きな転換点の舞台でした。1333年、鎌倉幕府を滅ぼす一連の戦いのひとつ「久米川の戦い」が、この地で繰り広げられたのです。

1333年、ここで歴史が動いた

元弘3年(1333年)、新田義貞が鎌倉幕府打倒のために挙兵しました。小手指原での戦いに続き、武蔵国久米川(現在の東村山市諏訪町あたり)で幕府軍と激突したのが「久米川の戦い」です。義貞軍はこの地で幕府軍を破り、その勢いのまま鎌倉へ攻め上りました。まもなく、約150年続いた鎌倉幕府は滅びます。東村山は、その大きな歴史のうねりが通り抜けた場所なのです。

八国山の「将軍塚」— 義貞が陣を張った丘

新田軍は、狭山丘陵の東端にある八国山に陣を構え、ここから麓の幕府軍と対峙して指揮をとったと伝わります。その陣の跡は、今も「将軍塚」と呼ばれて八国山の尾根に残っています。トトロの「七国山」のモデルと言われるあの緑の丘が、じつは鎌倉時代の合戦の舞台でもあった——歩きながら、そんな二つの物語を重ねられるのが八国山の面白さです。

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戦の記憶を伝える「元弘の板碑」

この戦いで討死した新田方の武将(齋藤氏ら)を供養するために建てられたと伝わるのが「元弘の板碑」です。もとは八国山の山麓にありましたが、江戸時代に徳蔵寺へ移され、今は「板碑保存館」で大切に守られています。武将の名が刻まれ、軍記物語『太平記』の記述を裏づける史料として、国の重要文化財に指定されています。伝説ではなく「本物の証拠」が、この街に残されているのです。

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地図上のピンはおおよその位置です。正確な所在地・経路は Google マップでご確認ください。

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久米川古戦場跡は、東京都指定旧跡(大正8年/1919年 指定)です。今は静かな住宅地のなかに石碑が立つだけですが、八国山(将軍塚)〜久米川古戦場〜徳蔵寺(元弘の板碑)を結べば、東村山で「鎌倉幕府の終わり」をたどる半日の歴史さんぽになります。

本コラムは、東村山市公式・各史料(Wikipedia等)に基づいています。八国山と将軍塚は東村山市と所沢市にまたがる市域境に位置します。年代・指定区分は資料に基づきますが、史跡の現況やアクセスは変わることがあるため、お出かけ前にご確認ください。