東村山さんぽあゆむ、はぐくむ、楽しむらやま
文化・読み物LAST UPDATED 2026.06.08

「東村山音頭」と志村けん — 街の名が全国区になった物語

なぜ「東村山」という街の名を、日本中の人が知っているのか。一曲の音頭と、ひとりのコメディアンの物語です。

営業時間・料金・イベント日程は変動します。お出かけ前に、必ず各施設・主催者の公式情報で最終確認をしてください。

始まりは、市制施行を記念した一曲

「東村山音頭」は、1963年(昭和38年)の東村山市の市制施行を記念してつくられた音頭です。「東京音頭」に負けない郷土の民謡を、という思いから企画されました。原曲は、三橋美智也さんらが歌い、レコードとして発売されました。もともとは、この街のための、この街の人の盆踊りの曲だったのです。

志村けんが、街の名を全国へ

この街の名を全国区にしたのが、東村山出身の志村けんさんです。1976年、ザ・ドリフターズの人気バラエティ番組『8時だョ!全員集合』の「少年少女合唱隊」のコーナーで、志村さんが独自のアレンジで「東村山音頭」を披露。ユニークな衣装で歌い踊る姿に、全国の子どもたちが夢中になりました。こうして「東村山」という地名は、日本中の人が口ずさめる名前になったのです。

そして、街は志村けんに応えた

街の名を全国に届けた志村さんに、東村山は形で応えています。駅東口には、市の木けやきの「志村けんの木」が1976年に植樹され、けやき並木が育ちました。そして2021年6月、駅前に「アイーン」のポーズの志村けんの銅像が除幕されました。銅像はクラウドファンディングで支えられ、3,200万円を超える支援が集まりました。一曲の音頭から始まった街と人の物語は、今も駅前で続いています。

ゆかりの場所めぐり — けんさんが愛したと言われる味

銅像や「志村けんの木」だけでなく、街には志村さんが愛したと伝わる場所がいくつかあります。聖地巡礼としてあわせて訪ねてみるのもおすすめです(いずれもファンや報道・ガイドで語られている内容で、断定ではありません。お店は営業日・場所が変わることがあるため、各店・公式でご確認ください)。

  • 手打うどん こせがわ(諏訪町)— 志村さんがロケで訪れ、生前に通ったとも伝わる武蔵野うどんの店。店内には似顔絵やサイン色紙が飾られ、ファンの聖地に。生家が近かったとも言われます。当サイトの「武蔵野うどん」でも紹介しています。
  • 笹本だんご店(久米川町)— 志村さん御用達と伝わる、焼きだんごの名店。テレビ『モヤモヤさまぁ〜ず2』でも紹介され、東村山ガイドマップ(公式)や商工会にも掲載されています。注文を受けてから特製醤油ダレで香ばしく焼いてくれる手作りの一本。火曜定休・売り切れ次第終了など営業情報は変わることがあるので、公式でご確認ください。
  • 実家のあった界隈 — 志村さんが生まれた1950年頃、この辺りは一面の畑だったそう。さつまいもの産地で、祖父がつくる芋を食べて育ったと本人が語っています。今は住宅街ですが、街を歩けば当時の空気が少しだけ想像できます。

地図上のピンはおおよその位置です。正確な所在地・経路は Google マップでご確認ください。

Google マップで開く

地図上のピンはおおよその位置です。正確な所在地・経路は Google マップでご確認ください。

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ちなみに志村さんは、東村山市立第二中学校の出身。中学時代から文化祭でコントを披露していたと伝わります。学校は見学スポットではありませんが、のちに全国を笑わせた芸の芽が、この街で育ったことがうかがえます。

志村けんの銅像・志村けんの木を見に行く

本コラムは、東村山市公式・新聞報道・テレビ番組・散歩メディア等、確認できる範囲の事実をもとにしています。エピソードの創作・脚色はしていません。飲食店は順位付けせず、中立にご紹介しています。